敗者への接し方を考える。敗者をもてはやすというのは、時に最も残酷だ。
こんにちは、Soda(@soda_SE)です。
今一番ホットな話題と言って良いのがサッカーワールドカップです。
日本は1次リーグを敗退してしまいましたが、決戦の行方はなお注目されています。
今、日本の1次リーグ敗退の結果に対する日本人の対応に世界が注目しています。
ダウンタウンの松本人志さんもこの件に関して発言を行っているようです。
代表が帰国した際の空港での出迎えの様子が世界と日本で比較されています。
今回日本と同じように1次リーグで敗退してしまったイタリアの例を出すと、空港で迎えたサポーターの数は0人。
試合結果がそのまま現れていますね。結果が全て。厳しい世界です。
かたや日本はどうでしょう?
イタリアと同じように1次リーグで敗退してしまったにも関わらず、空港では約1000人のサポーターが出迎えたとのこと。
この違いが日本のサッカーにどのように影響するのでしょうか?
私はサッカーは全然詳しくないのですが、個人的に思うのは、自分の人生の中でとても重要な意味をもつ試合で惨敗してしまい、そこに「しょうがない」とか「よく頑張った!」とか一般的な励ましの言葉をかけられても正直何も響かないのではないかと思います。
もしかしたら、そんな「暖かな」出迎えに苛立ちさえ覚えるかもしれません。
サッカー日本代表は日本で最もサッカーのうまい方達の集まりであり、サッカーのことだって本人達が1番分かってるはずです。
どんな熱狂的なサポーターだって、サッカーに関してはどんなことも日本代表に劣るでしょう。
例えば「◯◯選手がケガで調子良くなかったから」とか「相手がコンディション良すぎた」とか色々理由づけたとしても、敗戦の理由はそんな単発的なものでもなく、外部から見えるあらゆる要因の組み合わせだけでもない、実際にピッチにいた彼らにしか分からない要因も複数絡みあっているはずです。
要は、本当に全てを分かっているのは選手達だけであり、それ以外の人から何か言われたところで、「薄い」としか感じないのではないかと思います。
松本さんも言っていますが、「負けたのにもてはやす」ことが本当に正しいのか?日本人に特に強いこの性質に関して考えさせられます。
敗者をもてはやすというのは、時に残酷だったり、励ました方の自己満足だったりするんです。
「励ます」と「もてはやす」の違いは、受け手(この場合は選手達)の取り方に因ると思います。
周りは「励ましている」つもりが、選手からは「もてはやされている」感じに捉えられることもしばしばあるのでは?と思います。
※「もてはやす」は、「話題にして騒ぐ」というようなニュアンスが強いでしょうか。無意味に騒がれているような、どこかマイナスなイメージを感じます。
選手達の1番の願いは、勝つことだと思います。その為には、1ファンとして何をしてあげられるのか?敗者に対してキャーキャー言いながら写真を撮ることなのか?少なくともこれが正解では無いでしょう。
イタリアの選手達は、空っぽの空港を目の前にして、そこに次に繋がる力となる想いをそれぞれ抱いたことと思います。
繰り返しになりますが、敗者への対応の仕方というのはとても難しい。
別にサッカーに限った話ではありません。
「負け」という結果に対して、慰めるだけでは人は成長しないということ、慰め、励ます(もてはやす)ことのみが良いことだという感覚が、実はズレているかもしれないということ。
とりわけ、その道の経験が浅い者からの励まし程、その人のプラスにならないものは無いと考えています。
もちろん慰められ、励まされないと次に進めないような人もいますが、少なくともサッカー代表選手はそんなたまじゃないと私は思うのです。
以上です。
本日も当ブログをご覧いただき、ありがとうございました!
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☆written by Soda(@soda_SE)